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TOPすばるクンとあたし上手に生きることじゃない、そうだろ。


上手に生きることじゃない、そうだろ。
たぶん君はもう少し
君自身のことを信じなきゃ

たぶん君はもう少し
遠回りをするから









いつだって自分らしくやるべきことをやるだけだから。


by Yone







おこめの言葉が大好きです。


おこめの音楽が大好きです。











ずっとそうやって生きてきたし、
これからも生きていきたかったなぁって思ったから、


だから一生懸命、
私らしくを見失わないように、
必死で生きてきた。


だけど、今までどうやっていたのかが、
今はずっと分からなかったです。
以前の私はどうやっていたのかを
一生懸命考えてやってきました。








だけどね、結局何も変わらなかった。




こうやって何かを抱えているのは生きている限り
私だけじゃないと割り切ってやっていこうと思いました。
自分だけじゃないさと割り切ればそれまでだけど。



割り切ることができているつもりだったけど、
そんなことする意味があるのかなぁともたまに思います。





時間が解決するって
よく人は言うんだけど、
私はそうは思えない。


時間は酷くする。



時間は決して解決しない。


時間が解決するという人は結局、
どうにかしようとは思ってないだけなんだと思う。



だから何か食い違いや、嫌なことがあった時、
相手をそういう気持ちにさせたら、その瞬間ではないと、
きっともどれなかったりするんだなとも思うんです。



時間は心を閉ざしてしまうから。
















今までの私はどうしていたのかが分からないまま
時間だけが流れていきました。







文字を書くことは嫌いです。
でも自分を包みかくさずあらわすことは
がんばれていると思えるので
ブログは好きです。




だけど、最近ブログをやっている意味というものが
分からなくなったんです。




なんのためにやってたの?




一応、私のためではなかったのに。



なんのためにやってるの?













三年目の記録。


































三年たちました。
すばるくんとあたし。
でも今回の記事はきっとこのカテゴリーに
いれるべきではないのかもしれないなとも思います。







一年に一度だけ、
あの部屋に入って、
一年に一度だけ、
遺骨と向き合い、
事実を再確認しなきゃいけない日。

事情があって、まだ納骨ができてないんです。


生きているうちに無意識にさけている現実への
再確認の日。



そして言葉にすることによって、もっと色濃く、
自分を理解させることができる。




私は自分を理解させたい。
私は自分に受け入れさせたい。


気を失っていたのはよかったのかもと思います。
気づけば骨があったことさえ現実がよく分からなくなるから、
よかったのかもと思う残念な今の自分。
だから、まだ帰ってきてくれるような、そんな気がする自分。
待っていたら、いつか。

そんなありもしない現実。ただそう思わないと。
だって私はまだ生きていかなきゃならないから。





早く寿命がつきてほしいとやっぱりそう思うんです。






会いたいという、ただその気持ちだけで。






生きているのは、
やっぱり辛くって、
長くて、


自分だけじゃない。


だけど…
一人になってしまったことを受け入れられなくって、

でも受け入れるしかなかったのかなぁって思う。




でないと、前に進めないというか、
何かを見失いそうになるんです。







確かに一年前は
生まれてきてよかったと、本当にそう思えたし、
確かに生きていることが幸せやった。


ただそれはあの人が
体が身震いをするほど、
息をのんでしまうほど、
全身全霊で楽しいよ幸せやぁって気持ちを表してもまだまだ足りないぐらいの
日々が続いていたから。


ずっと願ってきたことを
さらに超えて、
とてつもなくとらえられたから。




ただ、それだけの話やったの。


結局、私にはそれしかないのかも。













生きているんだけど死んでいるのかもしれない。
って思うときがあるんです。



夢を見るんです。
夢はかわらないんです。







どうしようもないことなのだけど、



私が死んでもお母さんには生きていてほしかった。


さやも。




だけどそれは叶わなかった。



どんな形でもいい。
生きていてくれたら、
どんな形でもよかったのに。



人はでもそれを望まない。
植物状態になったらかわいそうだから死なせてあげてと。
私はいつも思います。

それでもいいじゃない。
会いにはいけるよって。




叫んでも響かなかった。
答えは返ってこない。



それでもいいやんか。










仕事で辛かった時、
泣き言を言いたかった時、涙が止まらない時、
体調がずっと悪かった時、人からひどいことを言われた時、
熱が出てしんどかった時、大切な人が、同じように大切には思ってくれてないと気づいた時。


他の人にはどんなことがあっても切れないもの。
気付かないうちに甘えられるもの。
分からない事があったら教えてくれる導いてくれる。
どんなことがあっても
自分のことを一番分かってくれる絶対的な存在。

一人暮らしでも実家暮らしでも、
心配してくれる
帰る場所があるってこと。

そして私には、ない。




それに気付いてしまったとき、




というか今までそこまで自分を追い詰める感情にはなるってことがなかったのに、
というか、母が入院したり退院したりの繰り返しのときの方が
私は強かったのかもと、そう思います。




なんでも、私にはなんとかできる力があると思ってました。






弱さやうまくいかないこと。
それに打ち勝つ強さが
まだあるから、
生きていられる。

負けたら終わるから、
だから負けないようにするだけで、まだ精一杯。



幸せなこと、
嬉しいことをうまく見つけられないんです。


そしてなくなった自信と
私らしさ。




絶望的な存在がいないのにぶつかることや壁を
恐れず向かっていくことは、どうしても出来なくなったんです。
頑張れなかった。



今までの私を好きだと思ってくれていた
近しい存在には本当に申し訳ないと思うんやけど、
私はたぶん、少し変わってしまったんだと思います。
もちろん変わらないものもあるけども。



ただ、さやのこともそうだったけど、
私はたぶん、
そこまで追い詰められたんだと、
そう思います。



でもこうやって日記を書けるということは、
まだ何かを変えようと思っているんだと思います。

それはまだ見つけられないんだけども。


両親が存在する
周りの人達の話を聞くと、頭を何かで殴られたような気分になりました。






やっぱり私を残したのはあかんかったよ。
0927のあの日以来、
一度だって行けなかった。


ビデオを見て、そこに生きることはできるけど
アルバムは開けない。




生まれた日の大切さを、
はじめて教えてもらったのに、私にはそれさえもよく分からないの。


だって私はたくさん迷惑をかけたし
困らせたし、
泣かせたし、


そしてこんな思いをしなきゃならなかったのなら、
生まれてこなければよかったと、
そう思いながら一生懸命生きながらえることが
私には必要だから。




ごめんね。
ごめん。



この言葉を使うことは負けだと思っていました。

私がファンになってから何年かたった時の
調子にのっていたスーパーな俺様のすばる君は
どんなにでもこの言葉を使わなかったから、
この言葉はわたしの中で負けることだと認識しました。


今はすばるにとっても、
自分にとってもそうではないと思います。


ここ最近のわたしはこの言葉をよく使ってます。
よく人に謝っているような気がします。


ごめんねを言わないといけないことばっかりしているわけではないはずやのに、
なんでやろうと考えます。
謝ることをすると必ずいっぱい考えます。


自分が何をしたのか。
どうして人から怒られたりしないといけなかったのか。



















これからも。





私の大切な二人は
私がいなかったら、
もしかしたら、
今も生きていたのかもしれない。






だから、ごめんね。



願いが叶うならば
夢は




おかあさんとはなしがしたい。



本当に本当に
ただそれだけ。







って 記事を
三年目にしようと思いました。













でも少しかわってこれたかもしれません。









君は優しい人に 勇気をもらってるね。














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