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TOPすばるクンとあたし生きる意味~5年目の~


生きる意味~5年目の~


ずっと見ないふりして

後回しにして

向かってる今でも塞いでる。





びっくりするほど
普通の人間演じて、
意外と上手にできて




五年。
もうすぐ六年かな。





私の心はどこに置いてきたんだろう?


たまに思うよ。



もしかしたらそれ以後出会った全ての
人と私自身が向き合う事なんて
一生ないかもしれないなって。





強くなりたい。


自分が生きていくためだけに
生きたいって思えるためだけに
他人を好きになるためだけに




あの日から何が変わったんだろう?






生きる意味。




あのブログを書いてから4年。




何事もないふりを演じ続けてきて、
それに合わせてくれた友達に守られ続けてきてから5年半。


これからも、合わしてもらい続けるんだと思う。
これからも、だから甘やかされ続けるんだと思う。
同情と同情と同情と優しさと愛情で。
家族のように接してくれるんだと思う。

埋まらない。

埋まってほしい。



あの記事100以上の拍手をもらった。
普通の人間ならコメントできないことなのに、
コメントもらった。



書くことで余計に悲しくなったけど、
少し向き合うことができ、
私を知ってもらえることができたから、
それでたぶん今でも連絡をとってもらっているお友達にも出会えたから
苦しい思いしかなかったけど、
書くことができて
はだかんぼうで、丸裸で
だから書いてよかったのかな…?

と思うことができました。




今でも、見続けてくれててありがとう。






わたし、一つの区切りつけてきたよ。




訳も分からず、若干無理矢理、
というよりも自分に嘘をつきながら
受け入れたりふりをしながら、
やるべきことがさも正しいことだから疑いを知らなふりをしながら、
笑顔を浮かべ、浮かんだ言葉を正しいパスルにあてはめて言葉をのべ、
目をぎゅってつぶりながら
意識、思考、感覚、
すべて閉じながら、

ようやっと納骨を行いました。




だって、私にはそれしかできないから。
そんなことしかできないから。








キリスト教なのに、キリスト教は信じてない。
神様も信じてない。

キリスト教なのに、南無阿弥陀仏の京都のお寺に
いとこのおばちゃん、おじちゃん、お父さん、私で。




遠いところから来てくれるおばちゃん。
いつまで、いつまでいてくれるんだろう?

そうちょっとだけ考えてしまって
子供っぽい心配になるような発言と不安そうな目をした。


おばちゃんはすばるを好きではだめだと言った。
おばちゃんは私に幸せになってほしいから。



お母さんは納骨にお金をかけることをのぞんでないって。
お母さんはあんたらの幸せを一番望んでいるからって。




知ってるよ。
私、知ってるの。
ほんとうは、ちゃんと分かってるの。




い か な い で


お願いだから
い か な い で





死ぬその時まで自分の意思を貫けたのは、
お母さんだったから。

安心して安らかになんかいかないで。
私が嫌なんだから、叶えて。




あ き ら め な い で





最後の最後まで手をにぎらなかった。




意識なんかなくても、どうしてかお母さんなら分かってくれるって
信じて疑わなかった。

私がにぎったら、それは死ぬ時なんでしょ?





だったら私はなにを言われても無理やり手をひっぱられても握らない。






笑顔でありがとうって言ったら、
それはお別れのときなんでしょ?





だったら私は最後の最後まで「い か な い で」って声が枯れても
叫び続ける。


天国に行けないでしょ!!!
って口々に言われても
私は叫び続ける。






後悔してる?

後悔してる。



でも…
できない。










納骨。
ずっとずっとしなければいけないって分かってた。
でもただずっといないだけで、
いつか普通に退院してくるから。
って思ってたんだ。





それでも月日は流れ、
私はちょっとだけ生きていく上で器用なやり方を覚えたぐらいで
何も変わらない。







すばるのいろいろ。
すばるの変化も。
全部全部、一番話したい人。






南無阿弥陀仏を聞きながら、
思いだしたよ。


悲しくて悲しくて仕方がなかった日のこと。



一緒に連れてってほしいと泣いた日のこと。



一人にしないでって思った日のこと。

やっぱり一人になった。


骨を離したくないって思ったのに、
このまま離したくないって思ったのに、
意識もないただの物体なのに離したくないって。


でも普通の顔で置いた。
置けた。



あの時は確かに
「い か な い で」
そう言えたのにな。







それが、何を意味するのか自分でも分からない。



私は何かを諦めたのかもしれない。




あの人がひとつのものを乗り越えたような顔をして
諦めたように。













-相変わらず-私は一番、失いたくない人を失って
一人になったよ。



一時期、ちょっとだけすばるのファンやめようと思ったけど、
-相変わらず-今、私が生きていくためにはすばるが必要なんです。





こんなことを-相変わらず-私はすばるにいっぱい言葉で伝えてきた。


人には言えないことでも、
文章だからかもしれないけど、-相変わらず-すばるになら話せた。





だから今思うのは、私が一生かかっても
すばるには返しきれないけど、
私にできることがあるなら、
私はあの人のためなら、
-相変わらず-なんだってしたいかなって、

-相変わらず-そう思う。






でも
お母さんはあんたらの幸せを一番望んでいるから。



お母さんが私と弟の幸せを死んでからも一番望んでいる。


私もそう思う。



幸せを望んでくれてる。







だってお母さんは

「会社は1年続けたらいいよ。
1年ぐらい働ければお給料もでるし、ボーナスももらえるから
すばる君にも会いに行けるよ」




病気でもう体力の限界にきてるのに。
話すことだって辛いのに。






だから私は幸せになりたいというより、
自分自身で思う幸せと、
世間一般的に思う幸せと
周りから見た幸せが全部ほしかった。



だから私はいつもいつも
「これでいいのかな?」そう思ってる。



どこかでそう思いながらここまでやってきたのかもしれない。



それでもやめられない。



 




ずっと変わらない。
どんなことより、すばるがエイトが中心。

変わらない。




これでいいのかな。





誰よりも誇らしいけど、
これでいいのかな。





それでもね、変えられないのは、
あの人の生き方を見続けたせいもあるのだけど、
もうあの人は私なんか必要ないのかもしれないとも思うのだけど、
それでもあの人は


ANOTHER の時に泣いてくれるファンの人に救われた。



と教えてくれた。



いつもそう。
冷たくて冷たくて何回最前当てても、
花道当てても、
二列目当ててもラストボスだったくせに、
あなたのファンだって言ってるのに
他のメンバーとばっかり握手を何回できても
ラストボスだったくせに


いきなり自ら差し出してくる手。
泣くなといたずらに笑ってくる顔と手。
そりゃクルマジ好きやわ。
はじめての奇跡。





フラフラの日だって
いくらMCで話してたとはいえ
偶然だったとはいえ、
受けで鬼のように冷たいあの人だったから
会ってしまった時は怖くて仕方なかったのに
満面の笑みで話をしてくれた。








ANOTHERのとき、

「こんなにオレを待っててくれてた人が目の当たりにして、
ほんまにありがたいなって。」




今でもそう言ってくれるあの人は。


KYOTOKYOで見つけた大好きで仕方がなかった人は、
ずっと追いかけ続けていた人は、
たまに信じられないような奇跡をくれる。






そんなことを言われたらさ 、


こ れ で い い の か な っ て 迷 い な が ら
私 は あ の 人 の た め な ら 、
な ん だ っ て し た い か な っ て




そう思う。





幸せってなんだ?





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